第17回

赤い虫に刺された まさか南京虫が


 外国のお客さまを受け入れて考え方を変えざるを得なかった一つに、ゴキブリに対する考え方があります。
 イギリスの
お客さまに「コックローチ、コックローチ」と呼ばれて、部屋に連れて行かれると、小さなゴキブリがいます。殺虫剤を撒いてゴキブリの死骸を始末しました。
 滞在中のフランスの人が、夜になって急にチエックアウトすると言うので、訳を聞くと、「部屋にゴキブリが出て来たので、恐ろしくて寝ることが出来ない、他の旅館を探してくれ」と言われました。
 こんなことが続いて、外国のお客さまは、ゴキブリに特別な恐れを持っているのだとわかってきました。でも、終戦後、髪や衣服にシラミを飼い、ノミや蚊にさされても平気な私はどうも釈然としませんでした。
 そこで外客受け入れの先輩旅館の、”やしま”さんに聞いてみました。「それは歴史的な背景があるんですよ。日本人が死を覚悟した病といえば結核だった。これはじわじわと死に近づいてゆく、ところがヨーロッパではペストやコレラで大量の人が死んだという歴史があって、害虫に対する恐怖心が強いのですよ。虫に刺されたらたちまちコロリと死ぬという恐怖ですよ。」と言われて、なるほどと納得しました。
 そこで消毒会社と害虫駆除の年間契約を結び、年二回の定期消毒のほかに、部屋にゴキブリが出たと言われると消毒会社に来てもらい、全館消毒をしてもらっています。

 ところが、今年の夏は思いもしなかったことが起こりました。
お盆休みで泊りにきてくれた日本人の母娘さんが、私が朝起きて玄関のカギを開けに行くと食堂に座っています。「どうしたのですか」と聞くと、「昨日寝ようと思ったら、赤い虫が出て来て娘が刺されました。見ると布団の中にもいるので恐ろしくって、部屋を出て一晩中ここに座っていました」と言って、テイッシュにくるんだ血の付いた虫の死骸を渡されました。近くに親戚の家があると聞いていましたので、何度もお詫びして、宿泊料はいただかずお帰りいただきました。
 部屋に行くと、柱の割れ目に虫がいます。その日も満員なので、薬局が開くのをまってバルサンを買ってきて部屋で炊きました。
 お盆休みだと言われましたが、頼み込んで消毒会社の人に消毒に来てもらいました。その虫の死骸をみせると「これは南京虫です。東京では何年も見たことがありません。外国のお客さんの荷物についてきて棲みついたのですね」といわれました。
 息子が、部屋の調度品を全部運び出して、柱や洋服ダンス、天井のヘリに何度も何度も殺虫剤を撒きながら虫を殺しました。
 夜遅く、その部屋にチエックインしたお客さまが、翌朝、無事にチエックアウトされた時はホッとしました。幸いにも南京虫は他の部屋に移っていなかったようです。
 今でも、フロントで腕を掻かれると「虫に刺されたのですか」とつい聞いてしまいます。

日本観光旅館連盟 日観連月報より 

  

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